ほほえみ4月号
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地域ともにともにとに連載〈第7回〉エンドオブライフ・ケア -ライフの大切さを考える-「終活」関連の本が売れているのだそうです。購入者には団塊の世代が多いとか。そろそろ人生もバックストレートから第3コーナーかな?と自覚しはじめたところ?体力・気力があるうちに、「その時」に備えておきたいことなのでしょう。死んでからでは遅すぎる。確かにそのようなことがいくつかはあります。そこで、今回は患者さんが人生の最終段階(エンドオブライフ)を安心して迎えることができるようケアを行う“エンドオブライフ・ケア”についてお話ししたいと思います。「終活」の「終」は生命の終り、そして人生の終り。清水哲郎先生(東京大学・死生学)は「エンドオブライフ・ケア」の「ライフ」にもこの2つの側面があることを教えてくださいます。「生命」と「人生」。どちらも漢字の「生」を含むように、「生命」がなければ「人生」もないように、この二つは表裏一体をなして「ライフ」に収まっています。「生命」としての「ライフ」についてなら、医療者は専門的な知識を持っています。それなのに、患者さんの「人生」としての「ライフ」についてはほとんど知りません。何という名前で、いつ生まれたのか。それくらいは知っています。でも、患者さん「あなた」は子どもの頃将来は何になりたかったのか、誰と恋をしたのか、空が青いと気づいたのはいつなのか、となると知らないことばかりです。「人生」としての「ライフ」は医療者ではなく患者さん「あなた」自身の領域です。あなたにとっての2つのライフ“生命”と“人生”を考える「ライフ」の「終り」を迎えるにあたり、医療者なら「あなた」に「生命」の見通しを説明することができます。一方、「あなた」は医療者に「人生」の見通しを説明することができるはずです。「あなた」は「人生」を仕上げるためにあと何が必要なのか。微笑みなのか、潮の香なのか、一杯のワインなのか。それとも満ち足りているのか。「エンドオブライフ・ケア」とはお互いの説明と了解がもたらす「生」の完結であると言えます。「人生」の仕上げを想うのなら、「エンドオブライフ・ケア」は医療の最後の手段としてあるのではなく、すべての医療行為がそこに収束するために「エンドオブライフ・ケア」があるといっても過言ではないのかもしれません。患者さんをケアし、自身の“生”に誇りを持ってもらう

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